事後に会話はなかった。ただ、もう少しこのままでいたくて抱き締めてた。

キルアも黙って抱き締めてくれた。やわらかい髪の上から顎を乗せると、キルアは俺の首をくすぐるように身をよじった。そのまま眠った。昼間あんなに寝たにも関わらず、よく眠れた。

肌と肌が擦れる感触が気持ちよかった。時々動くのがわかって、その度に背中を撫でてやるとキルアが息を詰めるのが感じられた。

鼓動が伝わってきて、息遣いが伝わってきて、体温が伝わってきた。でもキルアの夢は見なかった。







「‥‥はよ」
「おはよう、なんだ、まだ寝ててよかったのに」
「なんか目ぇ覚めた」

俺にしては珍しいなんてキルアが淡々と話すから、自分で自覚してるんだ、って笑ってやった。時刻は8時半。今日もよく晴れてる、昨日と同じように。

「うわ、ゴン朝飯作ってんの。食えんのそれ」
「‥‥目玉焼きとトーストくらいまともに作れるさ」

昨夜の失態を思い出して口ごもると、ばーか嘘だよ、そう言って笑われる。その笑顔が、別れる寸前のあの痛いそれと重なった気がした。





「飛行船何時?」

朝食の食器を洗いながらキルアに尋ねる。ダイニングテーブルに座っていたキルアがこっちを一瞥し、鞄からごそごそとチケットを取り出した。

「夜の8時24分」
「そう、じゃぁ夜は機内食だね」
「俺嫌い、機内食って。不味いよあれ」

「ぜーたく言うなよ。あ、じゃあさ、昼はなんかおいしいもの食べに行こうよ」
「やった、ついでにどっか連れてってよ」

まるで昨日のことなんて忘れたかのように。多分こういうのを暗黙の了解とか言うんだろう。気付かないふりして曖昧に笑うのにはもう慣れた。





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二人で外に出かけた後そのまま夜には飛行船場に向かえるようにと、キルアの荷物は全部持っていくことにする。少ないね、そう聞くと、あぁ、必要ないもんは先に送ったから、と答えた。どこにだろう、キルアにも家とかあるんだろうか。そんなことを思ったけど口には出さないでおいた。

「どこ行こうか、別にこの町、観光名所も何もないんだよね」
「ゲーセンとか」
「やだよ勝てないから‥‥少し走らない?」
「いいよ」

そんな結論に至って、人のあまり通らない道を選んで、じゃあこっち、適当に方向を決めて走り出す。
キルアのスピードが丁度よくて、今まで一緒に仕事した誰よりも走りやすいって言ったら、俺もって言って少し笑ってた。俺もなんだかよくわからないけど笑った。

どこまで行こうか、とりあえずもう先に進めなくなるまで。俺たちの脚力は尋常じゃないから、まぁ、こっちの方向なら海くらいまで行けるかもしれない。

いや、

一緒ならどこまでも行けるね。
理由もなくそんな気がした。



二時を過ぎた頃、潮の匂いが近くなってきて、キルアって言ったら、うん、海、ってさすがに少しあがった息で答えた。結構走ったな、独特な匂いを連れた風が気持ちいい。
突き当たりで大きな道に出て、それに沿って、下に砂浜と海が見える。綺麗、そういえば海なんて久しぶりに見た。ようやく止まってキルアの方を振り向くと、真っ直ぐ海を見つめているそれは、空をそのまま映したような青だった。海なんかより綺麗だ、純粋にそう思う。

冬だし水には寒くて入れないから、とりあえずガードレールに並んで座った。

「帰りは電車で帰ろっか」

海を眺めたまま言う。

「うん」

キルアも前を見たまま答える。


しばらくして、やっぱりじっとしてるのは性に合わなくて、二人で砂浜に降りて石投げをした。いつの間にか勝負になって、つい熱くなる。

「あーもーゴンむかつく!!」

何回か続けて負けたキルアが、不意打ちで俺を海に突き飛ばす。あ、まずい、反射的に上着を脱いで砂浜に投げ飛ばし、ついでにキルアの腕をつかんで道連れにした。我ながらいい運動神経してると思う。唯一助かった俺の上着だけが少し夕焼けがかった空に浮かぶのを、倒れながらやけにスローモーションに目の端でとらえた。

「冷たー‥‥」

呟いて、一緒に転んだキルアを見ると、自分も濡れてるくせに勝ち誇った顔してるから、悔しくて水をかけてやった。




いきなり何すんのキルア、笑ってんな。

お前も笑ってんじゃん。




服が水を吸って、冷たくて寒くて重くて急いで砂浜に出た。上手く歩けなくて、コンクリートの上でまた二人もつれて転んだ。起き上がるのももう馬鹿らしくて、重なったままさりげなく手を繋いだ。

「うん、このまま」

確かにそう言って握り返してきた。






少し空が明るくなってきた、そう思ってから日が暮れるまでは早かった。もう五時を過ぎていて、地平線に消えていく光が気紛れに反射してる。
駅はそんなに遠くなかったけど、多分飛行船場まで二時間くらいはかかるだろうから、そろそろ行かなきゃいけない。

服は、幸いにもキルアの荷物の中に長袖のインナーが何枚か入っていたから一枚借りて、上着は無事だったからそれを上に羽織った。それ返さなくていいから、そう言われて、俺は黙って曖昧に笑ってしまった。

「きれー」

来たときと同じように、ガードレールに座ってキルアが言った。

「うん」

風が強い。気温も下がってきてる。




「キルア、寒くないの?」
「──寒いかも」





着ていた上着を脱いで、後ろからかけてやった。キルアは襟元を右手で合わせて押さえるようにして、ゴンの色、って言った。前を見たまま。
振り向かないまま。

空が、青と紫と橙のコントラストが本当に綺麗で、人間には作れない色、不可能の具体例を目の当たりにした気がした。ふと、こんな空を見たら思いだすんだろうか、とか考えて、じゃあこれはキルアの色なのかもしれないと思った。

「そろそろ行かなきゃ」
「‥‥あぁ」





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こんな季節に海に来る人も少ないんだろう、列車に乗り込むと車内はガラガラで、俺たちは壁際に並んで座った。タタン、と車両が動きだす。
向かいの窓から海が見える。もう日は沈んでいて、淡い赤と薄紫が、空がずっと裏側まで続いていることがわかる程度に明るく残っていた。

それを見て、急にキルアと離れることを実感した。





「ゴン」

ぼーっとしていた俺の耳に、ガタンガタンという雑音をすり抜けて、キルアの声が聞こえてきた。ゆっくり横を向く。これから言われること、少し見当がついた。



「最後」




真っ直ぐ、感情が読み取れない表情で、でもはっきりとそう言われて、何をしたらいいかなんてすぐにわかった。でも、そんなことしたらキルア戻れなくなるだろ、そう言った。

「だって戻らなくていいっつった」
「あ‥‥れは」

口ごもる俺を見て少し目を細めて困ったように笑って、無理をしたようにぶっきらぼうな口調で。

「嘘、気にしてねぇよ、戻れなくない、だから」

最後。

一応周りを気にしたけど、乗ってる奴も大体寝てて、キルアを壁に追い詰めて、かぶさるようにキスした。
何度かついばむように唇を合わせて、少し離して見つめるとキルアが気付いて顔を歪めた。
俺の舌がキルアのそれに絡めとられて深く交わる。僅かに漏れる息は、雑音にかき消されて俺にしか聞こえない。誰にも、他の誰にも聞かれたくない。

しばらくして離れて、なんでかわからないけどごめんってキルアに謝った。キルアは、お前が謝ることねぇだろ、って一言呟いて目線を逸らした。
そのまま何も話せなかった。





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あ、やばい。

そう思ったときにはもう遅かった。二人していつの間にか眠ってしまったらしい。丁度電車が止まったから慌てて駅名を確かめると、案の定降りるはずの駅から9駅程乗り過ごしてしまっていた。とりあえず隣りで未だに眠っているキルアを起こす。

「キルア、乗り過ごしちゃったみたい」
「‥‥今何時」

ゆっくり目を開けて、僅かに伸びをするように身じろぐ。

「8時ちょっと前」
「‥‥じゃあもう間に合わねーな」
「‥‥そうだね」

キルアが取り出したチケットをちらっと覗いた。そして、思わず顔に出そうになった感情をかろうじて抑え込む。

「8時24分以降の便に乗船可能」の記載。

それでもわざと、間に合わないと嘘をついたキルアが、何を考えていたのかはわからない。でも、少し愛しいと思った。
そして、その切なさを想ってつきんと胸が痛んだ。また気付かないふりをした。その痛みにも、キルアの嘘にも。

「終点まで行ってみっか、この際」
「あははは、そうしようか」

手を、どちらからともなく繋いでキルアを見た。なんだよ、と小さく言われて、何でもない、と返した。
終点が、こないといいと思った。



お互いの肩に凭れてもう一度うとうとして、どのくらい経っただろう、長くも短くも感じられたけれど、とにかくしばらくして、
曖昧な意識の中、俺の左手からするりと抜けていった。



掴もうと思えば掴めたし、止めたならきっと、また一緒にいられた。そんなことわかってた。
それでも引き止めなかったのは。

電車が止まる。ドアが開く。多分、キルアが降りた。バイバイなんて言葉を、こころの中で呟けたかすらわからない。
ただやっぱり俺にとって、キルアは必要な存在じゃなくて、一緒にいたら俺の気紛れで利用されるキルアが辛いわけで、だから向こうから離れていくのを止めることはないと思ったから。



それでも、本当はその手を掴みたかったのは。



目をつぶったまま、ぼんやりとそんなことを思いながら、もう一度眠りにおちた。





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終点ではっきり目を覚ますと、やっぱり隣にキルアはいなかった。まだ左手にあの感覚が残ってて、思わず見つめて強く握り締めた。
今は停車時間らしい、とはいうものの、乗ってくる人もそんなにいないみたいだから、俺にはただ無駄な時間が過ぎていくように感じられたけど。
この電車は、また折り返すようで、
今度は乗り過ごさないようにちゃんと起きてよう。





あの頃の日々は、俺にとっては痛くもないし、宝でもないし、眩しくもなかった。
まだ俺は子供過ぎたから、何も難しいことは考えないで馬鹿なことばかりしていて、今生きているのが不思議なくらいだ、そんなことを思うだけだ。
そして、こうして時間が過ぎれば忘れてしまう。ぼやけてしまう。実際、ゲーム内のカードの種類も、ヨークシンでの出来事だとかも、細部まではもうほとんど覚えていない。そのくらいのもの。俺にとって、12歳の、ハンターになった年の記憶なんて。

でも、手放したくはないと思った。少なくともキルアのことは忘れたくはないと思った。一緒に取り組んだ仕事、その合間に見た夕焼け、笑った時間だとかを。それは確かに本物で、確かに大切だと思った。

でも一緒にいるのはもうやめとく。ハンターになったときから、そしてジンが見つかって俺は新しいことに挑戦したくなって、キルアには別の道があって、でも暗殺者に戻ることはしないと鮮やかに笑って誓ったあの日から、もうそれは分かってた。二人で生きていくのは難しいってこと。
どちらかが妥協しなきゃ、一緒にはいられないってこと。
だから、別れたんだよね。


キルアが、電車を降りてくれてよかった。もう依存しないで。
たまに逢えたらそれでいいじゃん。深くならない程度に。忘れられるくらいに。
まるで、自分に言い聞かせるように思った。



家に着くのは‥‥何時頃だろ、10時過ぎくらいか。そしたら、来週の仕事先までのアクセス調べとかなきゃ。そう言えば夕食もまだだっけ。どっか寄ってこ。明日は久々に服も新調したいし、髪もそろそろ切りたい。家もかなり空けてたから、少し掃除しなくちゃ。



──だけど、





終点まで行こうって言ったのに。
終点まで行こうって言ったのはお前なのに。結局俺一人で来て、またキルアを置いてきた。
いつもそうだね。でも、やっぱり先行くよ、追ってこなくていい。最後に嘘をついたのはキルア。それだけで救われた気がした。

じゃあね、バイバイ。

列車が長い停車時間を終えて、ドアが閉まる。景色が動き出す。

向かいの窓の向こう、
夜の空に、青白く飛行船が飛ぶのが見えて、キルアが乗っているのかな、そう思ったら目が離せなくなった。





明日はきっといつもと同じ日。キルアはいない、それが普通なんだ。
だけどキルアが隣にいるのが当たり前だったあの頃を想って不覚にも涙が出そうになった。

ビー・シュアリ・セイム・デイ。














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051112
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