ガタンガタンと電車が揺れる。 さっきから、キルアは無言のまま俺の隣りに座っている。否、俺が移動してきたのだから、キルアの隣りに俺が座っているという方が正しいかもしれない。 とにかく、傍にいるのにいないような錯覚に襲われて、ちらっと右をみやる。 そこには確かにキルアの姿があってほっとする。そんなの当たり前なのに。消えたりするはずがないのに。 ──少し前に眼を覚ましたキルアは、しばらくの間じっと俺を見てから言った。 「‥‥久しぶり」 「あ‥‥久しぶり」 聞こえてきた声は結構冷静で、表情にもあまりこれといった変化はみられなくて。もっと驚くのを期待してたから、こっちが拍子抜けだった。なんだかまだ眼が覚め切ってないようにも見えたから、夢うつつだったのかもしれない。 そしてだんだん思考がはっきりしてきたのか、キルアがしきりにこっちを見てきたんだっけ。 「‥‥何?」 「いや‥‥ゴンだよな、って」 「当たり前じゃん、俺だよ」 「‥‥そうなんだけどさ」 多分そんなような会話をしたと思う。ようやくキルアに反応が見られて少し安心する。しかし、それからなんだか話が続かなくて沈黙。そして今に至る。 特別話したいことや聞いてほしいことがあるわけじゃないけど、話のネタならたくさんあるはずだ。 キルアと離れてからの間、本当にいろんなことがあったから。仕事だって、いくつか大きいものが入ってきたし。世界のほとんどの国には何らかの形で訪れたし。 でもいざこうしてみると、口からは何も言葉が出ない。そういえば、二年間の内容はそれなりに濃かったけれど、沸き上がる好奇心、興奮などには欠けていたように思う。 少なくとも、キルアと一緒にいたときに経験したそれとは全く別物だ、ということにはすぐに気がついた。 「‥‥キルア、なんでこれに乗ってるの?」 沈黙に耐え兼ねたわけじゃない。だからって、声が聞きたかった、とかの在り来たりな理由でもない気がするけど。でも久しぶりすぎて、名前を呼ぶのに戸惑ったのは事実だった。 「‥‥こっちの方で仕事だったんだよ、今回」 じゃなきゃ地下鉄なんて乗らねぇ、とぼやく。 早く車の免許とりてーな。 その何気ない呟きが、キルアが確かに自分と同い年であること、そして長い間逢わなくてもやっぱりそれぞれの時間が過ぎていたんだということを感じさせて、少し感傷的になった。 「仕事帰りか、どこまで行くの?」 「ん‥‥、とりあえずシェリで地下鉄降りて、そっからスカイラインでルカリ共和国まで。ほら、あそこ飛行船場があんだろ?乗らないと帰れねーから」 俺もシェリでスカイ線に乗換えるつもりだったから驚いた。ルカリ飛行船場っていったら、俺の家のすぐ近くだ。世界各国ほとんどの国に通じるたくさんの便が出ていることで有名な、大きな空の港。 (俺の降りる駅の二つ前だっけ、飛行船場) そんなことを表情に出さないようにして思った後、"今度は俺が取り残される番なんだ"なんて飛躍的な考えが瞬間浮かんだ。馬鹿みたい。 (でもそれで少しは許されるのかな、なんて。キルアと離れたこと) 「実は仕事が1日早く終わっちゃってさ」 俺が妙に黙っているのを気にしたのか、続けてキルアが言った。 「ふうん‥‥じゃあ早く帰れてよかったじゃん」 「いや、飛行船のチケット明日の便だし、今日はそこら辺で適当なホテル見つけて泊まってくよ」 「そうなの?じゃあ俺んち来れば?タダだよ」 自然に出たこの台詞に自分で驚く。そして言った後になんだか後悔に似た気持ちになって、思わず視線を逸らす。 「‥‥うち飛行船場近いんだ。だから、丁度いいんじゃないかなって」 なんだか理由を繕ったようになってしまう。キルアはどんな顔をしてるんだろう。今になって何を、なんて思ってるんだろうか。断るなら、早く断ってくれたらいい。それともこの規則的な揺れる雑音にかき消されて、提案自体が届いていなかったならいい。だけど。 なんかもう少しいたくて。結局「あぁ俺、今更かぁ」とか自分で思って呆れた。でも、そんなことを考えるのも悪くはないと思った。 「いーのかよ」 何事もないような声色でキルアが予想外な返答をするから、一瞬遅れて、だけど平静を装って言った。 「うん。一人暮らしだし気兼ねいらないよ」 「じゃあ‥‥一泊してくよ」 ------------------------------------------------------------------------------------------------ シェリで乗換え、俺の家の最寄り駅までは急行に乗っても1時間とちょっと。長い間電車に揺られて少しくたびれる。走る方がよっぽど性に合っていると思った。 「着いたぁー」 駅から出ると、朝の光にあてられてキルアが目を細める。 「まぶし‥‥」 昔から光にはあまり強くないキルア。変わらない反応がなんだか新鮮だった。今日はよく晴れてる。この、冬に入るか入らないかの微妙な季節。空気が乾燥し始めてるから余計に空が青く綺麗に見える。 駅からマンションまでは徒歩10分程度。長い並木道を抜け、見えて来るグレーの建物。エレベーターに乗って6階のボタンを押す。 部屋に着いてドアを開けると、長い間使われなかった部屋特有のこもった空気が流れてきて、急いで中に入って窓を開けた。 薄暗い室内に光が差し込む。それを受けて、またキルアが眼を細めたのがわかった。 そして、そんな小さな変化を追っている自分がいるのに気付いて焦った。 「へぇ、結構広い」 「うん、何もないけどね」 ホームコード用の電話は無造作に床に置かれていて、冷蔵庫、テレビ、テーブル。自宅なんかで込み入ったサイトに接続するわけにもいかないから、一応置かれているパソコンなどはもうインテリアの一部と化している。 それでも部屋を買ったのは、自分にとっての「家」がクジラ島にあると少々不便だったからだ。暇になったときいちいち帰るのが面倒だったし、ここにはこうやって飛行船場があるから、仕事の移動が比較的楽だったし。 拠点というものは結構大切じゃないだろうか。 適当に座ってて、とキルアを促す。 空気もだいぶ換気されてきてる。ちらっと時計を見ると、まだ昼前だった。でも。 「眠い‥‥」 「あー、俺も‥‥」 二人とも仕事でろくに寝てなかったから。 「ちょっと眠らして」 「うん、ベッド使っていーよ」 「って、ゴンは?」 「俺はソファーで寝るから平気」 「そ‥‥」 じゃあおやすみ、と言って毛布をすっぽりとかぶるキルアのその姿に、ふと過去が重なる。 寒がりで、眼の少し下まで毛布かけて、うつぶせ気味に、左手を枕の下に突っ込んで。 ああ、あの姿を、いつも毛布ごと抱き締めていたっけ。 そんなことを思いながらうとうとしてきて、冬の昼の心地いい日差しを受けながら横になった。 少し離れた左上にどうしても感じてしまうその存在感。 なんだか手を伸ばしてしまいそうになって、それを振り切るようにきつく眼を閉じて、眠った。 ------------------------------------------------------------------------------------------------- 眼を覚ましたのは夕方4時半頃。丁度夕焼けが窓から入り込んでくる時間帯だった。起き上がって外を見やる。本当に空が焼けてるみたいだ。寝覚めは悪い方ではないけど、しばらくぼーっとそれを眺めていて、 気がついた。 「キルア‥‥?」 どこに、 ‥‥トイレか。 水音に反応してあからさまにほっとする自分がよくわからない。 好きなのか。友達なのか。ずっと離れてたから懐かしいだけ?その隙間のせいでもう親友とは言えないのか、だけど元々そんな浅いもんじゃなかった気がする。 また一緒にいたいなんて思ってるわけじゃない。 そんなことが思考を巡る。 (俺もいいかげん頑固だな) (‥‥頑固?何が?) やっぱり泊まらせるなんて命取りだった。忘れてた感覚とか押し込めてた感情が解凍されてゆく。変になりそう。 「あ、トイレ借りたから」 戻ってきたキルアが言う。 「うん。いつ起きたの?」 「今さっき。ゴンも?」 「ん、そうだよ」 目の前のベッドにキルアが座って目線が合う。青い瞳が何気なくまわりを見回して呟いた。 「こんなに広い家、誰か来たりでもしなきゃもったいねーだろ」 「でも来ないよ、俺自体あんま帰ってこないし」 ふうん、と意味ありげに視線を泳がせ、戻して、悪趣味な笑いを浮かべて、 「女も来ねぇの?」 「‥‥来ないよそんなことしてる暇ないし」 「そんなことってどんなこと」 座っていたキルアがおもむろに立ち上がって、ソファーに近付いてくる。そのまま俺の顔を挟むようにして後ろの壁に手をついて、左足を乗り上げる体制。 逆光で表情までは読み取れなかったけど。あのときと同じように。 「知ってるくせにどうしたの、教えてほしい?」 「うん」 俺の失言だった。いや、心のどかでこうなることを望んでいたのかもしれない。 もう止まれそうになくて、せまるキルアの左腕を引っ掴んでソファーに押し倒そうとした。 するりと身をかわしてキルアが笑った。多分。 「嘘だって、からかってみただけ」 腹減ったからなんか作ろーぜ、そう言って台所に向かう。何もなかったといった感じで。 バックの窓の夕日はいつの間にか沈んで、部屋の中が一気にぼんやりして、だけどあの銀髪だけが光を失わないまま存在している。まるで俺に、自分の居場所を知らせているかのように。 ねぇ、どうしよう、キルア。 抱き締めたいよ。 --------------------------------------------------------------------------------- 051012 next>> |