キルアは俺のことが好きだったと思う。








過去形なのは、今はもう一緒にはいないから。
好きだと言われた記憶はない。でも五年経った今でもそう確信してしまっている。
何の根拠もない昔の話だけれど。
それでも、あの頃俺の隣りでよく笑ってたキルアをたまに思い出すと、そう思わずにはいられなかった。

















ビー・シュアリ・セイム・デイ


















キルアは俺のことが好きだったと思う。そんなことを久しぶりに考えたのは、仕事帰りの地下鉄のホームでのことだった。

早朝、まだ夜が明けるか明けないかの時間帯の青白い地下のプラットホーム。ここが田舎のためか、人はほとんど見当たらない。たまに酔って終電に乗り遅れたらしいサラリーマンを見掛ける程度だった。

アナウンスが流れる。乗りたい電車は今始発駅を出発したところらしい。移動するのに、電車、ましてや地下鉄を利用するなんて稀だ。ただ今回の勤務地が地方だったから、使わざるを得なかったというだけで。
朝帰りになることは、この特殊な仕事をしていれば当然のようなものだ。それどころか家に帰ること自体が本当に珍しかった。そもそも当初は家を買うつもりはなく、各地を転々としようと思っていたのだけど。仕事柄、ホテル代とかの金に困ることはないし。








今回の依頼は、随分と前に新種の蟻が大量発生した事件で俺が関わりをもった、二人の古い知人からのものだった。

あの二人は、今でも行動を共にしているらしい。連絡はまめにする方じゃないから、あんまり気にしてなかったけど。時々意見が割れることもあるけどやっぱり最高の相方だって、今回の任務終了の打ち上げのときに、酔ったナックルが勢いで言ってたっけ。


最高の相方。


ポケットから携帯を取り出す。機種変に機種変を重ね、番号はおろかメールアドレスまであの頃と変わっていない、今の携帯。だからって、別に何かを、誰かからの連絡を待っているわけじゃないけど。





色はシルバー。





今では、ジンの番号も入っている。アドレス帳にはそのジンも含め、必要最低限の人物の情報しか入っていない。登録してある人とも、それこそ仕事の打ち合わせやら相談やら、事務的な内容で交わすメールが月に1、2度あればいい方だ。

そういえばここ数年、連絡をとっていない人が一人いたのを思い出す。連絡先はわかっているけど、今更何を話したらいいのかがわからなかったからだ。

あいつは──





ファン、という音がして、暗闇の中から列車が現れる。いつ到着予告のアナウンスが流れたのか気付かなかった。ぼーっとしてたらしい。

斜め前の入口から入ると、やはりというか、誰も乗ってはいなかった。これまでにこの電車が通過した駅は‥‥確か三つくらいだと思う。その駅にも誰も乗る人はいなかったみたいだ。

ゆっくりと列車が動き出す。タタン、タタンという振動が、速さに比例するようにテンポを上げてゆく。

左側のシートに座った。自分しかいない車内というのはなんだか不思議なもので、思わず携帯のカメラで写真でも撮ろうと目の前に画面をかざす。こういうところは、昔のまんまだ。俺って根本的なところが変わってないんだと一人で少し笑った。


シャッターを切ろうとした、その瞬間。





カシャッ




隣りの車両から、シャッター音が聞こえた。微かに。

あれ、俺まだボタン押してないよね?誰かいるのかな。

見えないという位置関係からして、相手は隣りの車両の、俺と同じ側に座っているのだろう。そして間の壁を隔ててかなり近くにいるはずだ。瞬時に仕事の癖でそこまで分析してしまう。でもわざわざ見に行くのもどうかと思うから、仕方無くそのまま座ってることにする。

しかし気になる。多分、自分と同じように車内を携帯カメラで撮ったのであろう、他人のことが。

落ち着かなくて、駅に着く度に、相手が降りるかもしれないと期待して窓からこっそり外のホームを覗いたりしてみる。けど、一向に出てこない。
俺の降りる駅は遠い。あと‥‥少なくとも40分くらいはかかるだろう。




10分経って、いちいち下車するか確かめるのにもそろそろ疲れたし不毛だしやってどうなる問題でもないし、もうやめることにした。それに昨日の夜、というか今日の深夜も別れ際まで飲んだり話したりしてたから少し眠いし。眼を閉じて、寝過ごさない程度にうとうとし始めた。電車の不規則な揺れと音に一旦慣れてしまえば、あとは誘われるように静かに墜ちていくことができる。それでなくても、昔から寝ることに関しては得意だった。まぁそれで痛い思いをしたことはあったけれど。










時間がどのくらい経ったかわからない。
あるいは、それを聞いてどのくらいしてから反応したのかわからない。あまりにも違和感の無い響きだったから、一瞬気付くのが遅れたんだと思う。


「──ン」


ふいに聞こえてきたその声はどこか心地よくて、俺は眠るか眠らないかの瀬戸際だったから、あぁ、気持ちいい夢だなって思う。

少し懐かしい。

でもその響きはやけにリアルで、いつまでも耳に残って離れない。しばらくして、それが現実だということをやっと理解する。

瞬間、はっと眼が覚めた。

今の、隣りからだよね?俺、この声知ってる。これ以上無い程に、慣れてしまっていたこの声、感覚、

多分、多分間違いない。

慌てて隣りの車両へ駆け込む。すると、やっぱり思った通りの人物がそこにいた。

「‥‥ルア、じゃん‥‥」

腕を組み、足を組み、寝息をたてて眠っている。結構ぐっすり。とすれば、さっきの声は、寝言の類いだろうか。

なんで。こんな、場所で。同じ電車の隣りの車両で。明け方の滅多に人のいない地方の地下鉄で。ずっとずっと連絡もとっていなかったのに。逢ってなかったのに。おかしいだろ、有り得ないだろ、こんなこと。

思ったよりも冷静な自分に驚く。最後に逢ったのは‥‥二年前、か。なんで別れることになったんだっけ。あぁ、そうだ確か。

このまま一緒にいるとキルアが俺に依存しそうで、そんなんじゃ駄目だと思ったんだっけ。
御互いを気にしながら、守れるとか守れないとか強いとか弱いとか、そんなんじゃいつまでも変われないと思ったんだっけ。

俺はお前にとって、そんなに簡単に切り捨てられる存在だったのかって、キルアは怒鳴ってた。怒って、多分泣いてた。顔は見えなかったけど、なんとなくそんな気がした。




ごめん、切り捨てられる存在だった。




キルアにとっての俺は、どんなモノだったの?あの頃幼いながらにして関係をもってしまったけど。何度もキスして、稚拙なSEXして、俺はそれだけでも別に良かったと思ってたけど。

本気とかわかんなかったし、何かに強く依存したこともなかったし。自分にとっても相手にとってもマイナスになるなら、離れた方がいいなんて当然だと思ったし。

キルアは、違ったのかもしれないね。





まさかこんな場所で逢えると思わなくて、眠るキルアをじっと見つめてしまう。久しぶりのその姿は、昔とはあまり変わっていなくて。まぁそれは俺も同じだけど。
髪の毛は相変わらずくせっ毛で、今は少しだけワックスで落ち着かせているようだった。それが電車の揺れに合わせて上下に跳ねている。
香水の匂いがする。レオリオみたいだ。伏せられた眼。頬に長い睫毛の影が写る。




しかし外見なんかよりも、その存在感が。その雰囲気が。あの日と変わらず儚くて、心の奥が、心臓がぎゅうっと締め付けられるような感覚を覚えた。

隣りに座って、懐かしいその感触を思い出したくて、思わず手を伸ばす。起こさないように。

髪に触れ、次いで頬に触れ、手を解いて握った。

いきなりなんでこんなことをしたのか自分でもよくわからないけど、触りたかった。


突き放したのは俺なのに。










「ゴ‥‥」
「ン──‥‥?」


いきなり掠れた低い声で呼ばれて、起きているのかと思って返事をしようとした。でも、どうやら寝言だったらしい。

なんで、なんで、どうして、

今でも俺の名前を夢で呼んでいるのだろうか。離れて長い時が経った今でも。

眠るキルアは下を向いていたから、表情までは読み取れなかったけど。あのときと同じように。



俺がこのシルバーの携帯を選んだのは、無意識に銀の髪を連想したからかもしれない。
ふと、そんな遅すぎる憶測をした。













キルアは俺のことが好きだったと思う。


今でも、好きだと思う。














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050911
051012 一部内容変更
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